イシヤ、石屋・悪の神、悪神で検索 NO2
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悪神を天の神と思ってゐるから なかなか改心むつかしいぞ。 今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。 早よ改心せねば間に合はん、 残念が出来るぞ。 この神示わからんうちから、 わかりておらんと、 分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。 地の規則 天の規則となる事もあるのざぞよ。 六月二十二日、 アメのひつ九のかみふで。 松の巻 第06帖 (297)
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幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。 一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。 渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。 日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、 大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。 戦いよいよ烈しくなると、 日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、 神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。 それでどうにもこうにもならん事になるから、 早よう神にすがれと申してゐるのぞ。 誠ですがれば、その日からよくなるぞ、 神力現れるぞ。 今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、 戦ばかりで建替出来んぞ。 世界隅々まで掃除するのであるから、 どの家もどの家も、 身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、 辛い人民 沢山出来るぞ。 ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、 今度は何も出来はせんぞ。 世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。 それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、 今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。 臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。 戦の手伝い位 誰でも出来るが、 今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。 赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、 気付けて呉れよ。 悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、 悪となるのざぞ。 悪も改心すれば助けてやるぞ。 海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。 海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。 まつわり呉れよ。 竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。 朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。 宝 愈々世に出るぞ。 人民の改心第一ぞ。 顔は今日でも変るぞ。 民の改心なかなかぞ。 六月二十三日、 アメのひつ九のかみ。 松の巻 第08帖(299)
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神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。 悪神よ。 日本の国を此処までよくも穢したな、 これで不足はあるまいから、 いよいよ此の方の仕組通りの、とどめにかかるから、 精一杯の御力でかかりて御座れ。 学問と神力の、とどめの戦ざぞ。 七月三日、 あめのひつ九のかみ。 松の巻 第18帖 (309)
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いざとなれば、お土も、草も、木も、 何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。 何でも肉体となるのざぞ。 なるようにせんからならんのざぞ。 それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。 神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、 神の国が欲しいは、 誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、 何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。 神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。 磁石も神の国に向く様になるぞ。 北よくなるぞ。 神の国おろがむ様になるのざぞ。 どこからでもおろがめるのざぞ。 おのづから頭さがるのざぞ。 海の水がシメであるぞ。 鳥居であるぞと申してあろうが、 シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。 人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。 毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、 シメて島国日本としてゐたのざぞ、 よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。 命も長くなるぞ。 今しばらくざから、辛抱してくれよ。 食物心配するでないぞ。 油断するでないぞ。 皆の者喜ばせよ。 その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、 そなたに万倍となって返って来るのざぞ。 よろこびいくらでも生まれるぞ。 七月二十一日、あめのひつくのかみ。 夜明けの巻 第02帖 (322)
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地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、 そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。 七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、 鳥居は釘付けの形であるぞ、 基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、 基督信者よ改心致されよ、 基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、 懺悔せよ、
神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。 大き心持てよ、 かがみ掃除せよ、 上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、 びっくり箱あくぞ、
八九の次は 何事もウラハラと申してあろが、 ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、 よく神示読んでおらんと、 キリキリ舞ひせんならんぞ、 日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、 上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。 餓鬼までも救はなならんのであるが、 餓鬼は食物やれば救はれるが、 悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、 悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。 我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、 我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、 こんな身魂は今度は灰ざぞ、 もう待たれん事になったぞ。 十月の十四日、 ひつ九のかみしるす。 雨の巻 第02帖 (336)
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肚の掃除なかなか出来んぞ、 道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、 今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。 食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、 初めの行ざぞ。 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、 軽き輩(やから)ぢゃぞ、 それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、 神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、 息とは初のキであるぞ、 気であるぞ。 悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、 悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、 此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、 今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、 悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。 まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、 妙な事 此の方がさしてゐるのざから、 神の臣民 心配ないなれど、 さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、 掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。 天の様子も変りて来るぞ。 何事にもキリと云ふ事あるぞ、 臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、 キリキリ気付けて下され、 人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、 我と心から改心致されよ、 我でやらうと思ってもやれないのざぞ、 それでも我でやって鼻ポキンポキンか、 さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、 やって見て得心改心致されよ、 今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。 これまでは夜の守護であったが、 愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、 まことの人よ、よく神示見て下され、 裏の裏まで見て下され、 神国の誠の因縁判らいで、 三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、 天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、 世界は神の国、 神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、 世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、 神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。 人民は其の心通りに写るから、 小さく取るから物事判らんのさぞ、 間違ひだらけとなるのざ、 人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、 我出すから苦しんでゐるのざ、 神が苦しめてゐるのでないぞ、 人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。 十二月七日、 七つ九のか三神示。 雨の巻 第12帖 (346)
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神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、 勇んでやって下されよ、 勇む所 此の方 力添え致すぞ。 心配顔 此の方 嫌ひぞ、 歌唄ひ下されよ、 笑ひて下されよ、 笑へば岩戸開けるぞ。 今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。 つ千に返ると申してあろがな、 早う気付いた臣民人民 楽になるぞ。 神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、 判る様な守護は低い神の守護ざぞ、 悪神の守護ざぞ、 悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、 心せよ、 何んな事あっても不足申すでないぞ、 不足悪ざぞ、 皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、 人民キから起って来たのざぞ、 我の難儀、我が作るのざぞ、 我恨むより方法(ほか)ないぞ、 人民の心さへ定まったら、此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、 手柄結構ざぞ。 此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、 一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、 くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、 人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、 人民も此の方も同じものざぞ、 此の道理判りたか、 此の方 人民の中に居るのざぞ、 別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。 まだまだ大き戦激しきぞ、 是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、 是からが褌(ふんどし)ざぞ、 よき世となれば褌要らんのざぞ、 フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、 ヘチマ愉快で嬉しひなあ、 風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、 何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。 誠が神であるぞ、 コトが神であるぞ、 元であるぞ、 道であるぞ、 日であるぞ月であるぞ。 始めコトありと申してあろがな、 キであるぞ、まつりであるぞ。 十二月十九日、
一二 雨の巻 第16帖 (350)
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一八は弥栄。
悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。 人民 悪いこと好きでするのでないぞ、 知らず知らずに致してゐるのであるぞ。 神にも見(み)のあやまり、 聞きのあやまりあるのざぞ。 元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。 それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。 元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、 スサナルの大神様 鼻の神様 かぎ直しないぞ、 かぎのあやまりはないのざぞ。 人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。 鼻のあやまりないのざぞ。 スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。 間違ひの神々様、 この世の罪けがれを、 この神様にきせて、 無理やりに北に押込めなされたのざぞ。 それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。 それで人皇の世と曇りけがして、 つくりかへ、 仏の世となりて、 さらにまぜこぜにしてしまふて、 わからんことになりて、 キリストの世にいたして、 さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、 悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、 わかりたか。 釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、 今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。 同じ神二つあると申してあらうがな。
わかりたか。
くらがりの世となってゐるのも、
この道理わかるであらうがな。 旧一月十五日、 かのととりの日、
一二 岩の巻 第01帖 (366)
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大間違ひざぞ。 この方の許へ参りて先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。 苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。 この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、 帰りて呉れよ。 そんな軽い信心は信心ではないぞ。 結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。 しかと褌締めてついて御座れよ。 此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。 わかりてもわからん、 出来ん事致さすぞ、 神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。 静かに神示よく肚に入れて御用して下されよ。 神の道 光るぞ。 旧一月十五日、
一二 岩の巻 第07帖 (372) ![]()
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よき守護神となったのざぞ。 神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。 神の国は真中の国、 土台の国、 神の元の鎮まった国と申してあらうがな。 神の国であるぞ、 我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、 皆なりてゐるが、 表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、 中は極悪ぢゃ。 気付いてゐる臣民もあるなれど、 どうにも、手も足も出せんであらうがな。 それが悪神に魅いられてゐるのぢゃぞ。 道はあるに闇、 祓ひ潔めて道見て進め。 勇ましきやさかの道、光りあるぞ。 二月十六日、
一二 岩の巻 第08帖 (373)
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然らざるものは、その内蔵するものの度合に正比例して遠ざかる。 同類は相寄り、相集まり、睦び栄ゆ。 生前の世界は、地上人の世界の原因であり、 主体であるが、 また死後の世界に通ずる。 同気同一線上にいる霊人たちは、 且って一度も会せず語らざるも、 百年の友であり、 兄弟姉妹である如くに、 お互いに、その総てを知ることができる。 生前の世界に於ける、 かかる霊人が肉体人として生れ出でた場合の多くは、 同一の思想系をもつ。 但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に相会し、 相語られざる場合も生じてくる。 また、生前の生活と同様のことを繰り返すこともある。 霊人の同一線上にある場合は、 その根本的容貌は非常に似ているが、 部分的には相違し、 同一のものは一つとしてない。 そこに、存在の意義があり、 真実の道が弥栄え、愛を生じ、真が湧き出てくるのである。 生前の霊人の場合は、 自分自身のもつ内の情動はそのままに、 その霊体の中心をなす顔面に集約され、 単的に現われていて、 いささかも反する顔面をもつことは許されない。 一時的に満たすことはできても、 長くは続かない。 この情態の原理は、地上人にも、反影している。 生前の世界は、以上の如くであるから、 同一状態にある霊人が多ければ、その団体の大きく、 少なければ、その集団は小さい。 数百万霊人の集団もあれば、 数百、数十名で一つの社会をつくる団体もある。 各々の団体の中には、 また特に相似た情動の霊人の数人によって、 一つの家族的小集団が自らにしてでき上がっている。 そしてまた、各々の集団の中心には、 その集団の中にて最も神に近い霊人が座を占め、 その周囲に幾重にも、内分の神に近い霊人の順に座をとりかこみ運営されている。 若しそこに、一人の場所、位置、順序の間違いがあっても、 その集団は呼吸しない。 而して、それは一定の戒律によって定められたものではなく、 惟神の流れ、則ち歓喜によって自ら定まっているのである。 またこれら集団と集団との交流は、 地上人の如く自由ではない。
総ては
或る段階に進むときは一時的に分離が生ずる。
しかし、この場合も これが地上世界の行為に移りたる場合は、 不自由不透明な物質の約束があるため、 その分離、乱用の度が更に加わって、真偽混乱に及ぶものである。 悪人が善を語り、善をなし、真を説くことが可能となるが如く写し出されるのである。 生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、 御用の悪として自ら許されている。 許されているから存在し行為し現われているのである。
この場合の悪は、悪にあらずして 即ち、道を乱すが故である。 地上人の悪人にも善人にも、 それは強く移写される。 愛は真により、真は愛により向上し、 弥栄する。 その根底力をなすは歓喜である。 故に、歓喜なき所に真実の愛はない。 歓喜の愛は、これを愛の善と云う、 歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。 その歓喜の中に、また歓喜があり、
真があり、真の真と顕われ、
その集約の
更に尚 生前の世界、死後の世界を通じて、 一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。 大神は常に流れ行きて、 一定不変ではない。 千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。 完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。 されど、地上人に於ては、 地上的物質に制限され、 物質の約束に従わねばならぬ。 其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。 故に同時に、善と悪との両面に通じ、 両面に生活することとなるのである。 其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。 霊人に於ては、善悪の両面に住することは、 原則として許されない。 一時的には仮面をかむり得るが、 それは長くつづかず、 自分自身 耐え得ぬこととなる。 地上人と雖(いえど)も、 本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。 しかし、悪を抱き参らせて、 悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。 悪と偽に、同時にはいることは、 一応の必要悪、必要偽として許される。 何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。 悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、 総てを殺す結果となるからである。 霊物のみにて神は歓喜せず、 物質あり、物質と霊物との調和ありて、 始めて力し、歓喜し、弥栄するからである。 霊は絶えず物を求め、 物は絶えず霊を求めて止まぬ。 生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、 神と現われ給うのである。 霊人も子を生むが、 その子は歓喜である。 歓喜を生むのである。 地震の巻 第04帖 (381)
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誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来 て、 これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。 何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。 今度は 根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、 スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光 の世と、 影ない光の世と致すのぢゃ、 今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、 光りて輝く御代ぞ楽しけれく。 悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、 よき世が来るとでも思ふてゐるのか、 肉体いくら殺しても魂迄は、 人民の力では何うにもならんであろがな。 元の霊(たま)まで改心させねば、 今度の岩戸開けんのぢゃぞ、 元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、 目に見える世界ばかり、 理屈でよくしようとて出来はせんぞ、 それ位 判って居らうが、 判りて居り乍ら他に道ないと、 仕方ないと手つけずにゐるが、 悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、 悪は改心早いぞ、 悪神も助けなならんぞ、 霊(たま)から改心させなならんぞ、 善も悪も一つぢゃ、 霊も身も一つぢゃ、 天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。 何んなよいこと喜ばして知らしても、 聞かせても、 今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。 この道にゆかりある者だけで型出せよ、 カタでよいのぢゃぞ。 六月三十日、 ひつぐの神。 光の巻 第06帖 (402)
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世界の人民 皆青くなって、 どうしたらよいかと何処尋ねても判らん事近づいたぞ、 早うこの神示読ましてくれよ、 神の心が九分通り臣民に判りたら、 神の政治判るのぢゃ、 与へる政治いくらでもあるぞ、 一通りと思ふなよ、 時と所によっていくらでもあるのぢゃ、 つまることない神のまつりごとぢゃ。 人民の政治 神国には用いられんのぢゃ、 三千世界天晴れの政治 早う心得て、 まつり呉れよ。 悪神の眷族はまだよいのぢゃ、 箸にも棒にもかからん、 話の判らん動物霊に化かされて、 玩具(おもちゃ)にされてゐて、 まだ気付かんのか、 神は何時迄も待たれんから、 こんな身魂(ミタマ)は一所に集めて灰にするより 他ないから心得て居りて下されよ。 八月十四日、
一二 マツリの巻 第07帖 (411)
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三人使ふて三人世の元と致すぞ、 三人を掘り出すぞ。 世に落ちてます神々様、 人民様を世にお上げせなならんぞ。 悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。 何事も清め呉れよ、 清めるとはまつらふことぞ。 十一月十六日、 ひつ九のかミ。 梅の巻 第07帖 (434)
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神示ぢゃ、 神示元ぢゃ、 と申してあろが、 三つ揃ふても肝腎の神示 肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。 九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、 御用 勇んで仕へまつれよ。 目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、 新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。 今日一日 神に仕へまつれよ、 与へられた仕事 御用ざぞ、 生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。 七月になると上の人民番頭殿、 顔の色 悪うなって来るぞ、 八九月となれば愈々変って来るぞ、 秋の紅葉の色変るぞ。 いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、 今度 引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、 ちっとも気ゆるし出来ん。 澄んだ言霊(ことだま)で神示よみ上げてくれよ、 三千世界に聞かすのぢゃ、 そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、 判らいでも神の申す通りにやって下されよ、 三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、 世が迫って居ることは、 どの神々様人民にもよく判ってゐて、 誠求めて御座るのぢゃ、 誠知らしてやれよ。 何も彼も一度に出て来るぞ、 日増しにはげしくなって来るぞ、 どうすることも出来ん様に、 悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、 何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、 キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、 キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、 良きは結構ぢゃなあ、 中々ぢゃ。 十一月十六日、
一二 梅の巻 第08帖(435)
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所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かんぞ、 天の規則通りにやり方変へて下されよ、 間に合はんことあるぞ。 血尊べよ、 血は霊であるぞ神であるぞ、 血にごしてはならんぞ、 血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、 黄金(こがね)は黄金の血、 白銀(しろがね)は白銀の血、 黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、 外国にはまぜこぜもあるなれど、 元をまぜこぜならんのざぞ、 交ぜることは乱すことざぞ、 学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、 それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、 人民の目、くらましてゐるのぢゃぞ、 科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、 乱すばかりぢゃ、 神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、 分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、 一に一たす二ばかりとは限らんのぢゃ、 判りたか。 十一月十八日、 ひつ九のかミ。 梅の巻 第15帖 (442)
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皆が誠の神魂になって来んと誠の神は出ないのざぞ、 誠ある処へ誠の神働くと申してあろが、 誠ない処へ働く神は悪神ぢゃぞ、 よう気付けてくれよ。 いくら時節来たとて人民に誠ないと気の毒ばかりぢゃ、 気の毒 此の方嫌ひぢゃ。 道は神にも曲げられん、 竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、 心せよ。誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、 此の方に近よれんのは悪の守護神殿。 愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、 王の王の神で末代治める基(もとい)つくるぞ、 少しでもまじりけあってはならんのぢゃ、 早う洗濯掃除結構ぞ。 御用いくらでもあるぞ、 お蔭取り徳ぢゃ。 出来るだけ大き器持ちて御座れよ、 皆々欲がチビイぞ、 欲が小さいなあ。 話すことは放すことじゃ、 放すとつかめるぞ。 十二月十四日、
一二 梅の巻 第22帖(449)
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悪神の悪では治まらん、 ここまで申してもまだ判らんか、 金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、 金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、 判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、 元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、 洗濯すれば治るぞ、 病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、 家も国も同様ざぞ。 神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、 口で説くばかりではどうにもならん、 魂なくなってはならん。 十二月十四日、 ひつ九のかミ。 梅の巻 第26帖 (453)
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云はれるには云はれるだけの事もあるのぢゃ、 此の方さへ改心いたしたのであるぞ、 改心のおかげで此の度の御用の立役者となったのぢゃぞ、 誰によらん改心致されよ。 改心とは まつろふ事ぞ、 中行くことぞ、 判りたか。 今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、 千人万人のおかげを取りて下されよ、 千人力与へると申してあろが、 大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、 途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、 まだ判らんのかなあ、 人民もぐれんぞ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第10帖(502)
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使用さされた特殊文字
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苦労なしには何事も成就せんぞ、 苦を楽しめよ。 此の世を乱したのは神界から、 此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、 この道理判るであろがな、 建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。 秘密は秘密でないぞ、 火水であるぞ、 明らかな光であるぞ、 火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったか ら、 秘密となったのであるぞ、 秘密は必ず現はれて来るぞ。 あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、
一には この世一切のことを建替へるのぢゃ、 神の道も変へるぞ、 心のおき所も変へるぞ。 八月二十三日、
一二 海の巻 第13帖 (505)
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使用さされた特殊文字
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道を説けよ。 一切を肯定して二九(ジク)を伝へよ。 悪神かかりたなれば自分では偉い神様がうつりてゐると信じ込むものぞ。 可哀さうなれど それも己の天狗からぞ。 取違ひからぞ。 霊媒の行見ればすぐ判るでないか。 早う改心せよ。 霊のおもちゃになってゐる者多い世の中、 大将が誰だか判らんことになるぞ。 先生と申してやれば皆先生になって御座る。 困ったものぞ。 (十二月七日) 一二十 黄金の巻 第057帖 (568)
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