イシヤ、石屋・悪の神、悪神で検索 NO3
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悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにや れたなれど、 もう悪の利かん時節が来たのであるから、 早う善に立ちかへりて下されよ。 善の神まで捲き入れての仕放題、 これで不足はもうあるまいぞや。 いくら信仰しても借銭なくなる迄は苦しまねばならん。 途中でへこたれんやうに、 生命がけで信仰せねば借銭なし六ヶ敷いぞ。 途中で変る紫陽花(アジサイ)では、 御用六ヶ敷いぞ。 (一月三日) 一二十 黄金の巻 第080帖 (591)
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その時では遅いから、 間に合はんから、 早う神の心悟れと申してあるのざ。 笑のない教にして下さるなよ。 学問や金を頼ってゐる内は、まだまだ改心出来ないぞ。 今迄の宗教の力でも、法律でも、どうにもなら ん。 掃除が目の前に来てゐるぞ。 神の力を頼るより他に理(ミチ)ないことまだ判らんか。 中程まで進むと判らんことあるぞ。 神の試練 気つけてくれよ。 どちらの国も見当とれんことになるぞ。 肚立つのはめぐりあるからぞ。 善でつづくか悪でつづくか、 この世に善と悪とがあって、 どちらで立って行くか、 末代つづくか、 得心ゆくまで致させてあったが、 もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、 今しばらくのゴタゴタであるぞ。 ものの調和が判れば、 正しき霊覚が生れるぞ。 神の姿がうつって来るぞ。 (一月三日) 一二十 黄金の巻 第082帖 (593)
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どんなことでも叶へてやるぞ。 理解するには、理解する心、先づ生まねばならん。 われよしでは拝めんコンジンさまぞ。 天地総てのもの、生きとし生けるもの悉く、 よりよくなるやうに働いてゐるのであるぞ。 それが神の心、稜威(みいつ)ぞ。 弥栄と申すものぞ。 その時、その人間のキに相応した神より拝めん。 悪いキで拝めば何んな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。 悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、 善き念が通ずるならば、 悪神引込んで、それぞれの善き神 現はれるのぢゃ。 この道理よく心得よ。 (一月三日) 黄金の巻 第096帖(607)
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掃除することであるぞ。 先づ御(おさ)め、 次に治(おさ)め、 次に知(おさ)めねばならんぞ、 素盞鳴(スサナル)の大神は先づ滄海原を御め給ひ、 更に蒼海之原を治め給ひ、 次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。 素盞鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。 碧玉の巻 第04帖(868)
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それは只申すだけであるぞ。 悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、 よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。 よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものも あるなれど、 それは理屈ぢゃ、 甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。 真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、 言葉の上のみ同一であっても、 心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。 偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、 同じ「ハイ」と言ふ返事でも、 不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。 われは天照太神なり、 などと名乗る霊にロクなものないぞ、 大言壮語する人民はマユツバもの。 竜音の巻 第14帖(922)
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それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、 三千世界の岩戸ひらきであるから、 少しでもフトマニに違ってはならんぞ。 廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、 出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、 ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、 素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、 人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、 岩戸はひらけんぞ。 新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、 住所(数真意)(すまい)であるぞ、 永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務) 土地(十千)であるぞ、 下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。 極めの巻 第20帖 (947)
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