【木花之佐久夜比売(このはなのさくやひめ)】
古事記は「木花之佐久夜毘売」と表記するが、
日本書紀・先代旧事本紀は、「木花(之)開耶姫 」、風土記では「許乃波奈佐久夜比売命」とある。
木花之佐久夜毘売は、日本神話に登場する女神で、山を司る大山祇神(おおやまつみ)の娘である。
天照大神の孫である邇邇杵尊(みみぎのみこと)の妻となった。
古事記によれば、高天原から日向の高千穂に降臨した瓊瓊杵尊は、吾田の笠沙で一人の美人に出会う。
それが、木花之佐久夜毘売である。恋に落ちた瓊瓊杵尊は、彼女の親である大山祇神に結婚をを申し込む。
大山祇神は喜んで、姉である石長毘売(いわながひめ)とともに、瓊瓊杵尊に献上するが、石長毘売は醜かったので、瓊瓊杵尊は木花之佐久夜毘売とだけ一夜を共にし石長毘売を親元に送り返す。
大山祇神はこれに怒って瓊瓊杵に言う。
「姉妹二人を送ったのは、石のごとく雪や風が吹いても微動だにしない命(いわながひめ)と、木の花が栄えるかのごとく繁栄(このはなのさくやひめ)するという意味を込めたのであり、石長毘売だけ送り返したので、今後は花の様に美しいだけで儚い命となってしまうでしょう。」
歴代天皇が短命なのは、そのせいであると古事記はいう。
この後木花之佐久夜比売は身ごもる。
しかし、瓊瓊杵尊は一夜限りの契りで孕んだことを疑い、国津神の子ではないかと言い放った。
その疑いを晴らすために、彼女は出入り口のない産屋を作ってその中に入り、邇邇杵尊の子であれば無事に生まれるはずと言って産屋に自ら火をかけた。
その中で出産し、それが邇邇杵尊の子であることを証明した。
その際に生まれたのが、火闌降命(ほでりのみこと:海幸彦)・火須勢理命(ほすせりのみこと)・彦火火出見尊(ほをりのみこと:山幸彦)である。彦火火出見尊は、やがて初代天皇となる神武天皇の祖父である。
炎の女神としてのイメージからか、富士山本宮浅間大社の社伝によれば、木花之佐久夜比売は、噴火を繰り返す富士を鎮めるために水神として祀られたという。
また、8月26〜27日に行われる富士吉田市浅間神社の「火祭り」は、木花之佐久夜比売が茅の産屋に篭り、火をかけてその中で三人の皇子を出産したというこの故に基づくお祭りである。
産屋に火をかけて出産するというのは他の伝承にも二三見え、暗闇で行われる奇祭と言うここの祭りも、何か古代文化との繋がりを残しているもののような気がする。
また、日本の国花であるサクラの名は、木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)の“さくや”がなまったという説もある。
木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめのかみ)(古事記)
神阿多都比売(かむあたつひめ)(古事記)
木花開耶姫(このはなさくやひめのかみ)(日本書紀)
神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)(日本書紀)
豊吾田津姫(とよあたつひめ)(日本書紀)
木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)
大山祇神の娘で、石長姫神(いわながひめのかみ)
・木花知流姫神(このはなちるひめのかみ)
・神大市姫神(かむおおいちひめのかみ)と姉妹神。
邇邇芸命の妃で、海幸彦・山幸彦の母。神武天皇の曾祖母。
富士山の神で、全国の浅間神社に姉の石長姫とともに祀られている。
日本一の高峰として世界中にその名を知られ、万葉の昔から歌に詠まれる霊峰富士山。この富士山の神が、木花開耶媛命である。
木花開耶媛命という名は、桜の花が咲いたことを感嘆するさまを表現している。そして神話の中ではたいそう美しい女性として登場する。
「古事記」によれば、日向の高千穂の峰に天降った日子番能邇邇芸命が1人の美女に出会った。それが、大山津見神の娘、木花開耶媛命であった。邇邇芸命は、大山津見神に即座に結婚を申し入れ、すると大山津見神は大いに喜んで結婚を許し、木花開耶媛命の姉である石長比売もそえて、邇邇芸命のもとに送りだした。ところが、石長比売はたいへん醜かったので、送り返してしまう。
実は、大山津見神が石長比売をそえて送りだしたのは、天津神の御子の生命が石のように永遠に変わらず、桜の花のように栄えることを祈る意味がこめられていた。
しかし石長比売を送り返してしまったことにより桜の花のようにはかない生命となってしまった。
歴代天皇の寿命が長久ではなくなったのはこのせいであるという。
木花開耶媛命の生んだ火照命は「古事記」において火須勢理命は「日本書紀」において海幸彦ともよばれて水神的な性格がみられ火を制御する水神誕生の物語ともみることができる。
神話の木花之佐久夜毘売は亦の名となっており、「亦の名」は系譜のすり替えまたは系譜の接合の可能性があります。
元の名前は神阿多都比売です。
の阿多は薩摩国阿多郡阿多郷であり、地名ですから、この神話は「笠沙の御前」とあるように鹿児島県川辺郡笠沙町のことで、自分たちの始祖が霧島山に天孫降臨したとする九州王朝あるいは先住の倭人の神話です。
狗奴(木国)王朝の歴史の編者はこれを借用して「木国」に置き換えたと推定できます。そして「木」も地名と見ることができましょう。
また、大山津見神の娘の木花知流比売も姉妹になりますから「木」に書き替えたと憶測です。
木花之佐久夜毘売が祭つられている神社は、香川県に二社あります。
式内社の高屋神社(観音寺市高屋町)の三祭神の一人として祀られています。
この地には、四国最古の古冢(弥生)期の遺跡である室本遺跡があり、孝安天皇の宮が「室」とあるのですが、この室本町の山寄りにあります。
次は、大川神社(琴南町)があります。
大川山という讃岐の第二の山の頂上です。
「はな」は先端部や突端の意味でしょうから、山頂に祀られて不審はないのです。
あるいは、平地の神社の神々は歴史の変遷に洗われますが、この山頂までは及ばなかったと解せましょう。
また、庵治町にある桜八幡宮は「古くは佐久良尾神社と称し、木花咲耶比売命を奉祀していたが、承知七年(八四〇)にさらに八幡神を配祀したという。(『香川県の地名』)という伝承もあります。
ちなみに、和歌山県には木花之佐久夜毘売を祭った神社はありません(『神社名鑑』限り)。
なお、静岡県の木花之佐久夜毘売を祭った神社は讃岐からの伝播と推定します。
例えば、静岡県に大須賀町があり、そしてこの地は『旧事紀』の素賀国造の素賀に比定されています。
これ対して本書は、大野原町の須賀(後述)に推定し、この地方に多い須賀神社の名称となって残っていると考えます。
日本文化の源流の一つは四国の讃岐であり、この地が発信基地となって全国に流転していったのであって、偽史によって隠蔽された歴史の重みは、自覚されざる地下の奔流となって、江戸時代の金比羅詣や伊勢参りとなって現象するのです。
http://www.at.x0.com/~script1/e014.htm
誰が一番美しい女神かのうんちくです。
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